2015年2月11日
ノート共有で学び合えるアプリ「Clear」/アルクテラス
EdTech最前線
ノート共有で学び合えるアプリ「Clear」/アルクテラス
オーストラリアで日本人学校に通うその少年は、勉強が苦手だった。勉強が嫌いなのではない。成績が悪いだけだ。小学校6年の一学期までの成績は、クラスで下の中。授業について行けないレベルだ。その原因を少年は知っていた。先生の話が入ってこない。そして、何より授業中の集中力が続かないのだ。
そこで、成績は悪いけれど学ぶ意欲のある少年は、勉強方法を変えてみることにした。参考書で学んでみようと、父に頼んで日本から高価な参考書を取り寄せてもらった。参考書で学んでみると、学習内容もよく分かったし勉強も楽しくなった。思えば、少年は「耳から入ってくる情報を処理して身につける」という学び方が苦手だったのだ。「目から入ってくる情報を処理して身につける」という学び方が合っていた。そして、自分のペースで自分の集中力の続く時間で学べることが良かったのだ。小学校6年の二学期から、少年の成績はみるみる向上していった。
その少年、新井豪一郎は、およそ25年後、アルクテラス株式会社を起業した。
「自分に合った勉強方法や教えられ方で学べると、人は本来持っているポテンシャルを最大限に発揮できる」という、自らの体験から得た信念を実現するために。
教育ベンチャーの起業家を目指して
自分に合った学び方で成績が伴うようになった新井さんは、順調な学生生活を送り、1997年慶應義塾大学経済学部を卒業、NTTに入社した。入社2年目には起業したい、との思いが沸き上がり、4年で退職。MBA取得のために、慶応ビジネススクール(慶應義塾大学大学院経営管理研究科)へ。卒業後は、起業の準備のため「3年で辞めます」と宣言した上で、米国戦略系コンサルティングファームPRTMへ入社、主に新規事業・新製品開発に関わる戦略プロジェクトに従事した。
当初の計画通り3年で退職。そして、教育ベンチャーの立ち上げを目指して活動を開始。はじめにやったのは、星野リゾートへの事業連携の提案。Webの人材採用サイトから星野佳路社長との面接にまで辿り着いて、「志望動機は?」と聞かれて新井さんは「志望はしていません」と答えた。驚きの表情を見せる星野社長に「知育と託児を組み合わせた事業を、御社のリゾートで展開させて頂けないでしょうか」と言うと、「いいよ」という返事。しかし、ベンチャーを始める前に経営の勉強をしてはどうか、という提案を受け、スキーリゾート事業の責任者や子会社の代表取締役を引き受けることになった。
入社から1年後のあるとき、北海道のスキーリゾート再生事業を指揮して新コース開発の下見をしているとき、スノーボードで立木に激突、身動きできないほどの大けがを負った。声は出ないし体も動かない。10人いた同行者の自分が最後、リフトも最終便が止まってもう誰も来ない。動かない体はどんどん冷えていき、まさに「死」を覚悟する状況だった。
その時新井さんは考えた。今の仕事は楽しいし成果も挙げているが、このまま死んでしまったら「一人ひとりに合わせた教育を提供するベンチャーを立ち上げて、世界の可能性を拓きたい」という思いは実現されないまま終わってしまう。生きて戻れたら自分の使命を全うしよう。
運良く救い出された新井さんは、肋骨3本が骨折、それが肺にささって破裂しているという重傷だった。
その事故から約4年後、事業の目処がたったのを見極めて退職を決めた。反対する妻を説得し、起業が軌道に乗るまでという約束で子ども二人と共に実家に一時退避してもらうことにした。結果的に一時退避は1年半になった。
教育ベンチャーをスタートアップするということ
教育ベンチャーの中身を具体的に考え始めたのは、新井さんの子どもが幼稚園の頃。昔と変わらない一斉教育で個性を考慮していないなと。これを変えなくてはならない。
ベンチャーをスタートさせようとした頃、まだEdTechなどという言葉は使われていなかったが、ICTを使って教育を変えられるのではないかと新井さんは考えた。
起業を前に慶応ビジネススクールの同期だった白石由己さん(副社長兼COO/CFO)に相談すると、「一緒にやってもいいよ」という返事。白石さんはそれまで、2件の起業を成功させて、最初に書いたビジネスプランが「eラーニング」という心強い味方だ。
2010年、「学習プログラムを提供して、世界の可能性を拓く」をミッションに、アルクテラスはスタートした。
しかし、いざ起業するとなると「ICT」については困らないが、「教育」についてはほとんど知見が無い。IT系のベンチャーには、会社を作った段階で事業化していこうとするプロダクトやアイデアがあるが、新井さんたちには「思い」以外何も無かった。
そこで二人は、とにかくがむしゃらに教育関係の論文を読み漁った。二ヶ月間読み続けた。新井さん得意の、目から入れる学習だ。大学の図書館から、インターネットの学術サイトから、これはと思う論文を見つけては読み続けた。
そんな中で、「認知心理学に基づいて子どもの個性に合わせた学ばせ方」に関する論文に出会い、研究を続けた。その活動は、アルクテラスの塾向けのサービス「カイズ」へと繋がっていく。現行カイズの一つの機能、子どもの学習スタイル(認知的個性)を把握するためのアンケートを分析し、保護者に教育方針を提案するというもの。このサービスをリリースするまでに、1年半掛かった。サービスの評判は良かったが、事業としては失敗だった。1回使えば2度目は不要、保護者が教育方針を知っても教育現場で生かせないからだ。
学校教育で使えないかと、教師たちに相談してみると「良いものだが、学校ではそれを活用する個別指導は難しい」というのが、大方の反応だった。
「個別指導」、か。「個別指導塾」で使ってもらえないだろうか。しかし、個別指導塾がどういう教育方針でどういう教え方をしているのか全く分からない。そこで新井さんと白石さんの二人で、個別指導塾で講師として指導してみることにした。数ヶ月間やって気づいたことは、結局講師は誰でも自分の得意な教え方で教えてしまうということ。その教え方が合う子は理解が早いが、合わない子は苦労する。分からない子どもがかわいそうだが、教える方も悩む。こうした体験を積み重ねてカイズは、塾用の学習個性式指導ツールへと進化していく。
今もそうした現場経験を忘れないために、そして「一人ひとりの個性に合わせた教育」の実践と研究開発のために、「個別指導 志樹学院」を運営している。「学び続ける姿勢」を忘れることは無い。
綺麗なノートは学びやすい。だから見せ合おう。
塾向けのサービスが形になってくると次の課題が見えて来た。学生たちは塾や学校で理解しても家に帰ると問題を解けない、分からない。これが勉強嫌いを生む。アルクテラスは「分からない」を解決し、いつでもどこでも「分かる喜び」を提供する必要がある。
社内で出た「上手にまとめたノートをクラウドに公開して、見たい人がいつでも見られるようなプラットフォーム」のアイデアを聞いて、これは「分からない」をいつでもどこでも解決する参考書になるかもしれないと思った。
更に新井さんは電車の中で、女子高生が自分の作ったノートを「どう、綺麗でしょ」と自慢していて、見た子も「わぁ、○○ちゃんのノート凄~い」などと盛り上がっているのを見た。
いいノートを作った人は、自己表現の手段として人に見せたいことを知り、このプラットフォームには多くのノートが公開されるはずだと確信した。多様なノートが集まれば、学生一人ひとりが自分の学習スタイルに最適なノートを使って勉強ができる。アルクテラス起業の原点である、自分に合った学び方でポテンシャルを最大限に発揮することにも直結する。
ノート共有で学び合えるアプリ「Clear」は、こうした背景から生まれた。
ノートのメッセージには「先生の授業で分からなかったことが、このノートでよく分かった」といったコメントが多いという。
現在、登録されているノートは8000冊。利用者は23万人を越えた。
「世界の可能性を拓く」ためにもっと
「Clear」の進化について新井さんは、「利用者にとって分かり易いということを追求する上で、一人ひとりに合わせた学び方=アダプティブラーニングをより追求したい」と言う。
現在、利用者がどのノートに「いいね」を付けているのか、どういう人をフォローしているのかを分析して、その人に合ったノートを推薦するといった機能を開発している。「世界の可能性を拓く」ために、一人ひとりの学び方に合った学習方法で学んでもらうために、「Clear」は日々進化を続けている。
新井さんの目指すのは、「Clear」利用者が自分に合った学び方を会得し、分かる喜びと自信を獲得したという人を増やすこと。そして、その人の持っている力を発揮し、自分の生き方を見つけてもらうことだ。
1月25日、東京・品川のコクヨS&T 東京オフィス ショールームで、発売40周を迎えるキャンパスノートとのコラボ企画「学習効果が向上するノートの書き方・作り方」について勉強会が開催された。
講師を務めたのは、「Clear」の累計著者ランキングトップの「みいこ」さん。現在は大学生のみいこさん。展示されている中高時代のノートは、作品と呼んでも良いほどの出来映え。授業中に書いたノートを、学習を深め、定着するために清書して作った。
「Clear」にノートを投稿した理由をみいこさんは、「自分の学習のために作ったノートを、必要な人の役に立てたいから」だという。図や表を使うのが得意なので社会や理科のノートは自分でもよくできたノートだと思うとのこと。
この日の勉強会では、受講者とほぼマンツーマンで「空間の使い方」「色分け」「文字の大小」など見やすいノートのポイントを学び合っていた。
新井さんはこの勉強会でも「Clear」の利便性向上に向け、ユーザーである参加者から熱心にヒアリングを行っていた。
新井さんは今年、「Clear」の世界展開を計画している。Clearとアダプティブラーニングの仕組みによって、世界中の学生たちに「分かる喜び」を届けたい。日本のEdTechが世界に通用する例を作って、先鞭をつけたいのだという。
そして、もっと先の「夢」として新井さんは、これまでの学び方、教え方そのものの変革を目指したいという。ICTを活用した学び方。そこには、教室も学校も塾も無いかもしれない。
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